二次試験【世界史その2】

2年以上ぶりに2つの記事を新規投稿したところで、一人の友人に

ブログ更新しましたよね?

って言われた。お前、なんで気付いたん???
こんなサイト見てないでちゃんと仕事しろよ。

よく飲みに行く悪友である。こんな悪友ほど案外長い付き合いになるのかもしれない。もうなってるぞ。

世界史のテストはよくできたのだと思う。なぜなら国語と英語がそもそも東大受験レベルに達していなくて、数学でもこけて、しかし文科三類に合格できた訳だから、つまりは社会の出来がよかった、としか考えられないからだ。

世界史の学力については少々自信はあった。特にマーク模試では無双していた。

日本体操界で、内村航平の一つ前の世代の大エースに富田洋之という方がいる。アテネ五輪団体金メダリストで世界で最も美しい体操を実施する人に与えらえるロンジン・エレガンス賞をもらったくらいの人だが、この人は体操の競技会に臨む際には、審判に対して

減点できるものなら減点してみろ!

っていう気持ちで試合に臨んだそうである。

僕も世界史のマークテストはそんな感じだった

基本的にマーク模試では間違えなかった。マーク模試って社会の場合は4択になる。普通は4択になると、怪しい3つを消して最後に残った奴を見つめて、これだ!と正解に辿り着くのであるが、私レベルに達すると

最初から正解だけを探しに行けた。

間違っている選択肢は検討する必要が無いのである。もう正解は見つかったので。

そういうレベルに達していたので、基本的に間違えようがなかった。教科書を逸脱することはないので、教科書をしっかり読み込んでいれば、そんなに難しくないのである。

センター試験本番でも世界史は満点だった。二次試験もその流れでまぁまぁできたんだろうと思う。社会さまさまである。

世界史の話でいうと、私は産業革命あたりが大好きである。産業革命は18世紀後半にイギリスで始まったというのが常である。ツネといえば右肘左肘交互に見て、である。

産業革命にまつわる物語は非常に楽しい。そもそもなぜイギリスで産業革命が起こったのか。まず、イギリスは17世紀のうちに社会革命を終えていた、というのが大きい。権利の請願とか権利の章典とかいうイベントを17世紀のうちに終えて、王政から脱して近代社会国家、国民主権や憲法制定、みたいなことを早くに進めていた。国が治まれば産業は興りやすい。そのうち18世紀半ばに誰かが蒸気機関を発明して布製品の大量生産化などなどに成功するのである。

その頃、諸外国は何をしていたか。特にフランスは近代社会国家のスタートとなる例の

フランス革命は1789年

イギリスが機械でバンバン機織りしている間、フランスでは農民が蜂起して貴族と聖職者を相手に鉄砲をバンバンしていたのである。この時点でイギリスとフランスとの間には

100年の差

が空いてしまう。100年と言えばすごいアドバンテージである。イギリスはこのアドバンテージをいかして、その後の世界を一時征服するほどの力を持つことになるのである。ちなみにフランス革命は「ベルサイユのばら」という漫画作品にあたれば非常によく分かるので超お薦め。私はオスカルよりも断然フェルゼン派である。特にオスカルを危険にさらすことになるアンドレは好きではない。これを言うと女子に嫌われる。

産業革命以降の歴史は嫌い、という人もいる。こういう人は日本史を選択することになるようである。なぜだろう、こんなに楽しいのに。ナイチンゲール伝記とか、「キャンディキャンディ」とか、「オルフェウスの窓」とか、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」とか、歴史のついでに学べる名作漫画等にも触れてもらいながら是非世界史を楽しんでもらいたいものである。

二次試験【世界史その1】

今日は二次試験「世界史」の思い出である。

当時、毎日死ぬほど勉強するしかなかった受験生時代の自分にとって、世界史はオアシスだった。特に英語・現代文が苦手で成績も東大レベルには遠く及ばず、たくさん勉強しなければならなかったが非常にしんどい、だから社会の勉強はもはや娯楽と化していた。やっていると非常に楽しいのである。私が文系に進もうと思ったのは、数学と理科が嫌いだから、ではなかった。むしろ好きだったのだが、

それ以上に世界史・地理が好きだった

なぜかと言われると返答に困るのだが、きっと「物語がある」というところが好きだったのである。私はメルヘンチックであった。

画像は当時の教科書である。受験時の資料は殆ど何も残っていないのだが

世界史の教科書だけは捨てられない

何だか愛らしくて。

世界史の勉強って主に、
山川出版の教科書がメイン
山川出版の用語集
図の資料集
河合塾の講習の際のテキスト
本屋で買ったテキスト

とかを利用して勉強していたのだが、私の場合はとにかく

それらの情報を全て教科書に集約

させて、勉強は1冊で済むようにしていた。自分だけの超オリジナルの1冊を作ることに命を賭けていた。

膨らみに膨らんだ1冊を

時々ヤフーニュースで、受験生が付箋を貼りまくった手垢だらけの参考書がすごいという内容の記事が出たりする、それと全く同様である。

これは別に誰かに聞いた訳でもなく自分でそうしたかったのである。持ち運ぶ荷物も1冊で済むのである。自宅から河合塾まで自転車で40分かかる、あるいは電車で1時間かかる、という状況が自然とそうさせたのかもしれない。とにかくひたすら、教科書にボールペンで書き込みまくった。

画像は中世のヨーロッパの農業の話である。この話は何となく覚えている。重量有輪スキである。スキというのは畑を耕す道具のこと。世界史の単語の中でも重量有輪スキというのは異色を放つ単語である。「カノッサの屈辱」とか「無敵艦隊」とかと比べると日常的な単語の羅列なのである。重量、有輪、鋤、って、、、wwwめっちゃ普通やんw

なぜこれが重要なのかというと、「重量」というのはつまり耕す道具が「重い」ということ、重いと固い土でも「深く耕せる」のである。これがポイントである。土は深く耕せば耕すほど良いらしいのである。これが現れるまでは、深く耕せなかったということだ。

また、中世ヨーロッパの農業には他にも色々な特徴があった。三圃制である。農業というのは難しくて、同じ土地で同じ作物を何年も育て続けることは原則として

不可能なのである

なぜかというと、
収穫後に畑の力はなくなる←肥料の投入が絶対に必要
同じ作物ばかり育てると病気・虫害に弱くなる←多分遺伝子的な問題も含めて
等など

三圃制というのは、
作物を育てる
休耕させる
何かショボいものを育てる

的なことをローテーションさせることで、それらの問題点を回避しようというやり方のことである、多分。そしてこれは中世の農業革命と言われている。革命というくらいだから、恐らく農作物の収穫量を異次元のレベルで増大させたのだろう。

なんだか物語があるのだ。当時の農家の人々の苦心が脳裏によぎるのである。またこれは地理の勉強にも繋がる。農業について考察が深まっていく。

ちなみに、古代エジプト文明の勉強の際には、教科書には

毎年ナイル川が氾濫

することで、エジプト文明は繁栄することができた、と書かれているのだが、これは最初は意味が分からなかった。しかし地理の勉強をすることで、その意味が分かるようになる。すなわち、川が氾濫することで、川の水に含まれた栄養分が土を富栄養化し、作物を収穫した後のやせた土地を

再び潤す

という話なのである。いや~ためになるブログだなぁ。

日本の扇状地もそうである。山から栄養分を含んだ川の水が流れ込むことによって、よい畑作地になるのだ(多分)。また、日本の周辺の海に美味しい魚が多いのもこのためである。日本には山と雨水(雪含む)が多い。山が雲を遮り雨を降らし地下水がしみこみ、あるいは雪が解けても同様である、そして山には動物の糞や枯葉が大量にありそれらを微生物が分解したりしながら栄養分を創り出す、栄養分は水と共に川となって流れる、その結果、海に多くの栄養分が流れ込み魚が集まってきて美味しく太っていく、という理屈である。

微生物さまさまなのである

地中海に美味しい魚が少ないという話もある。これは確か、アルプスが寒すぎて、動物の糞やら枯葉の分解が活発になる温かさにならないから腐らない、腐らないから栄養分にならない、地中海に栄養分が流れ込まないから魚も美味しくならない、

みたいな話を昔、河合塾の地理の先生がしていた気がするが、本当かどうかは知らないが多分本当である。

非常に面白いのである

え?面白くない?
私はこういう話を面白いなぁ、と思って聞いていた。

さて、受験本番の話まで到達しなかったので、それはまた次回

トンビが鷹を生む

2年以上ぶりの更新である。あまりに久しぶりすぎてこのHPの使い方すら分からないほどであったが、よくも管理画面にログインできたものである。ギリギリでパスワードを思い出すことができた。

tiktokで以前話題になったある動画について。
内容は以下である。

東大生の親はどんな人なんだろうか、というインタビュー。東大生のご両親は経歴も凄いんだぞというエピソードが続く中、ある女の子の両親の学歴は低く(高卒)、とんびが鷹を生むの実例として取りあげられていた。そこで女の子が、とんびが鷹を生んだのではなくて、とんびの両親が私を一生懸命に育てることによって、とんびである私が鷹のように翔ぶことができるようになった、という感動話である。

マツコ・デラックスほどの人も感心していたので、確かにいい話である。

ただ、この動画についてどうも違和感が残ったので、
その違和感の正体を見極めるためにサイゼリヤでワインを飲みながら考えてみた。

違和感の正体は、この動画の前提についての疑問であった。

つまり世間の多くの人々は・東大生の両親は高学歴だろう・お金持ちで当然・そうじゃなければ東大なんて行けないでしょ~

という考え方を自然に前提として受け入れているのである。私が感じたのは、この考え方に対する違和感であった。全然そんなことないのになぁ、と思うのである。

いやいや、とは言っても、お金があるから子どもの教育に湯水のように課金できるし、それによって子どもの学力は上がる、死ぬほど勉強して中学受験を経験し、その延長に高学歴大学への道が拓かれるんでしょ。

一理あるけれど、ほんの一つの理である。他にもいくらでもやりようはある、あるというか自分で見つけ出すべきである。

お金に余裕がない→子どもの教育に思うように課金ができない→親として情けない→子どもが可哀想だ→家計を圧迫しても塾のお金を捻出するべきだ

なんてことになると悲惨である。全然そんなことをする必要はない。塾に行くか行かないかは家族会議をするとして、

お金を掛けるほうが掛けないよりベター

なんだから、お金を掛けるのは親として当たり前、金を何とか捻出するぞ、という考え方はお金の使い方としてはいまいちである。コストパフォーマンスを丁寧に算出してからでも入塾を検討するのは遅くない。

その塾に入ったとして、掛けるコストに見合う成長が期待できるならば是非とも塾に入れてあげればよろしいと思う。ただし家計的に無理しないでほしい。分をわきまえるべきであろう。

子どもは中学から高校にかけて自立の準備を始めていく。高校受験や大学受験はちょうどよい成長のステップではないか。それなのに、親が、自分の子どもの受ける高校や大学を決める等はナンセンスである。自分の人生に関わる重要なことを、子ども自身で判断しない・できないのであれば非常にその子どもが心配であるので、御両親はどうやって子どもを自立させていくのか、ということについて、早急に考えなければならない。

そして子ども自身は、自分の周囲の環境や家計を可能な範囲内で最大限に利用しながら、その中で武器を探し経験値を積んでレベルを上げ、ボス戦に臨むべきであろう。やり方はいくらでもある。創意工夫が問われる。大いに悩んで努力を重ねればいいと思う。自分のストーリーは自分で作るのである。中学生活、高校生活はまるでロマンシングサガ。とても難しいがやりがいのあるチャレンジである。

自分自身の行動に自分で責任を持つのである。この機会を逃して君はいつ自立するのであろうか。

本人も御両親もそれについて

とうとう考える時がきたのである。

二次試験【数学】

さて、裏門が閉鎖されていたために、二次試験遅刻寸前で間に合った私は、最初の試験に取り掛かるのであった。とにかく受験生の頃は

全体的に必死で

余裕が無かったので、二次試験についての記憶は非常に薄い。二次試験を受けた科目順も覚えていないのだが、試験の印象のようなものは何となく覚えている。

本論には全然関係ないのだが、一人だけ凄い印象に残った人がいたのを覚えている。女性で前髪ぱっつん、サラサラのロングヘアーの、明らかに目立つ人がいた。こんな女性は大阪ではお目にかかったことが無かった。かわいい、というより、変わった人がいるもんだなあ、と思った。二次試験の時にそんな目立つ必要あるのかね、ちょっとビビった。こういう人は余裕で合格するんだろうなぁ、とも思った。後ほど分かったことなのだが、この女性は東京no.1の女子高校、桜陰高校の才媛ということが分かった。若さか。

話を戻そう。今回は数学の話。

東大文系の二次試験は科目数がかなり多く、国語、数学、英語、社会2教科となる。私はどちらかというと、国語と英語が苦手で、いつも私の成績を押し上げてくれたのは、数学と社会であった。東大数学のために、多くの時間を割いた。河合塾では一番上のクラスで学んだ。色々な目新しい問題も解いてきたし、とにかく合格のためには何とか大量得点をゲットしなければならなかった。僕の東大合格は数学に掛かっていると言っても過言ではなかった。そして、

全然解けなかった

いやー、ほんと、全然できなかったなぁ。白旗。

問題は4つしかない。制限時間は100分。

1問だけ明らかに簡単な問題があってそれだけは完答した。しかし、残りの問題は全く歯が立たなかった。部分点もほとんど獲れていないと思う。

何だったらちょっと時間が余った

何も出来なさ過ぎて。大誤算。正直、何となくであるが、河合塾の上位クラスで相当変わった問題も解いてきたので、

1つくらいは同じ問題が出るだろう

くらいに思っていた。本当に甘かった。人生舐めてたわ。東大入試ハードモードよ。見たこともない問題ばかりだった。厳しかった。思い返せば東大模試でも、満足に数学を解けたことなどなかった。私の学力は東大受験レベルに達していなかったのである。あれだけ数学の勉強、頑張ったのになぁ。

補足であるが、後の友人の中に

「数学全部解けたから、俺、合格って確信した」

みたいなことを言っている人もいた。そういう人もいるのである。その人はラサール高校出身だった。

とにかく、数学は出来なかったが、ただ、それほど凹むことは無かった。国語、英語は苦手だといいつつも、めちゃくちゃ勉強したことには変わりはないし、それなりの点数を獲れる可能性はあるはずと思っていた。そして、何より高校3年間、あれだけ頑張って勉強したのだから、自分が合格しないはずがないという根拠の無い自信が、崩れそうな私を土俵際で支えてくれたのである。そして、何より、全力を尽くせればそれでよかった。そう思っていた。

もう二次試験を解くこと以外、頭の中には何もなかった

そういう心境だった。無我の境地だった。

当時解けなった問題は、いつかチャレンジしてみようと思う。そして当時解けた問題も見直したい。今でも解けるだろうか。体積の最大値を求める問題だったとはず。

二次試験当日

前日に下見を済まし、宿泊しているホテルから東京大学教養学部まで歩いて行けることが確認できた。山手通り沿いに裏門があり、そこの小さな入り口から大学に入ることができるのだ。その門の横には謎の小さな保育園が併設されていたことを記憶している。

当日、僕は246と山手通りが交差するところ、あの有名な渋谷道玄坂を昇り切ったところの交差点にあるファミリーマート、当時はam/pmというコンビニだったんだ、そこでおにぎり2個とお茶を購入し、歩いて、昨日見つけた裏門へ向かうのであった。

そしてこれも、今考えれば当然なのかもしれないが、二次試験当日は、その裏門が、閉鎖されていたのだ。受験日当日に、大学に入るための門が閉まっている、ということに精神的ショックを受けつつも、学校なんだから、ぐるって回り込めば当然、正門に出くわすはずであるから、この段階ではまだ、心に余裕を持ちながら、歩いていたと思う。

しかし、東京大学教養学部はでっかいのである

歩けど歩けど、正門は見えてこないのである。

こんなことなら、おとなしく、普通の受験生がそうするように、渋谷駅から京王井の頭線に乗り、駒場東大前駅で降りる方法を採用すればよかった。そして、正門で予備校のスタッフに頑張れ、って声を掛けてもらえばよかった。ただ、朝から電車に乗りたくなかったのである。予備校のスタッフに会いたくなかったのである。何より同じ受験生に出会いたくなかったのである。

だって怖いんだもん

どうせ自分より賢そうに見える東大受験性には、なるべく会いたくい、という気持ちから、徒歩を選択したのだ。

とにかく、大学に入らないことには何も始まらない。最後は半泣きになりながら、走ったか、タクシーに乗ったか、半狂乱で路を歩く人に道を尋ねたか、最早記憶が無いのである。どうやって試験会場まで無事に着いたのか全く覚えていない。1科目目の受験にギリギリ間に合ったか、ちょっと遅刻したか、確かそんな感じだった気がする。とにかく、試験前に無駄に緊張する時間を過ごすことなく、サッカーの試合前のウォーミングアップを済ませたくらいの(走ったから)、逆に万全の状態で試験に臨めた、というポジティブシンキングで、半ば投げやり、吹っ切れた状態になれたことは、結果的には良かったかもしれない。

東大はでかい、という話は有名で、本郷にある東大、いわゆる赤門と安田講堂があるキャンパスはさらにでかい。また、農学部は道路を挟んで別のキャンパスなのである。弥生キャンパスと言われるが、これはあまり大きくないしショボい。僕の通ったキャンパスである。それでもでかい。しかも東京の非常に立地の良いところにある。駒場キャンパスは渋谷から徒歩圏内の目黒区、本郷のある文京区は東京でも最高に、子どもの教育にお金をかける親が集まる街である。さすが天下の東京大学。この他にも、日本中のあちらこちらに東大の土地はあるらしく、試験林なども含めて、日本の土地の0.1%が東大の敷地、という話を聞いたことがあるくらいである。凄まじいでかさである。私立大学ではこうはいかない。私立大学の場合は、だいたい1、2年生のうちは、田舎生活を余儀なくされるのである。青山大学では、1、2年生のうちは、神奈川の相模原という辺境に行かなければならない。中央大学は立川よりさらに向こうにあり、キャンパス内では、蛇が出ると聞いたことがある。ただ、3、4年生になると、東京の立地の良いところに来られるのである。

私立大学はそんな感じらしい

詳しいことは僕は知らない。だが、東大は違う。1、2年生の時から渋谷で遊べるのである。下北沢だって頑張れば歩いて行けるのである。流行の最先端からサブカルまでカバーできる最高の立地である。

写真は特に意味は無いのですが、最近食べた、自分で作ったお好み焼きなのである。お好み焼きはマヨネーズとソースを、けちらず、たっぷりかけて、鉄板の火を止めずに保温状態のままで食べるのが良い。ソースが垂れて、熱い鉄板に温められながら焦げていく時に、猛烈に食欲をそそる香りを発するのである。お好み焼きには、炭酸のコーラやサイダーがよく合う。焼酎の水割りとかは合わない。冷たいシュワシュワが良い。

次回のブログ(があるとすれば)では、二次試験当日、実際に受験した各科目、数学、国語、英語、世界史、地理、について所見を述べようと思う。

壊れかけのメンタル(高3)

思春期に厨房から受験生に変わる
路を探していた、大学合格目指し
早めに部活は引退、塾に通って勉強勉強
合格しなけりゃどうなるの、壊れかけのメンタル

いつか(だいぶ前)に書いたブログに、たまには更新しろ、とコメントがあった。そんなはずはない、このブログを見ている人なんて、私の友人1人だけである。しかし、正月に時間ができたので、ちょっとだけ更新してみる。写真は久しぶりに大阪の地に足を踏み入れた瞬間に目に入ってきた、おもむきのあるポスターである。東京には、海原やすよともこを知る者はいないのである(円広志も)。

受験生のメンタルは秋頃になると非常に危うくなってくる。私の場合、裏の家の犬がワンワン吠えてうるさいので、「ちょっと文句言ってくる」と行こうとしたくらいである。母親に「止めてくれ」と言われて止めたが、あの時は、なぜ止められなきゃならんのだ、と納得がいかなかった。

もし、文句を言いに行ってしまっていてたとしたら、相当揉めてこられてきてたのだと思う。何せ、当時の裏の家の主人は、以前、酔っ払いが騒いでうるさかったことに腹を立てて、ベランダから包丁を投げて警察沙汰になったくらいの人である。もし文句を言っていたとしたら、私は近所でも、あいつは勉強し過ぎて気がふれた、と評判になっていたことだろう。留まれてよかった。けれど、本当に当時は、そんなことにも気づけない程であった。

家に受験生がいると何かと大変である。私の家は長屋、縦に長くて横が狭い木造ボロ屋で、トイレが最深部にあり、私の部屋はトイレの手前であった。家族全員、トイレに行くためには私の部屋を通過しなければならなかった。みんな、神経をすり減らしていたと思う。申し訳ない。

そうは言っても家の構造は変えようがないし、貧乏も変わらない。父親は毎晩酔っ払い、猛烈にうるさいイビキ狂騒曲を奏でる。私は夜遅くまで勉強するのだが、イビキを遮断するために耳栓をするのである。オレンジ色のスポンジ耳栓は受験生としての私の必需品であった。

しかし、スポンジの耳栓は消耗品で、1週間も使うと、親父のイビキが通り抜けてくるのである。そうなってしまっては勉強どころではなくなるが、18才という若さの集中力はそれを凌駕した。毎晩毎晩遅くまで勉強し、1日の勉強時間は軽く12時間を越えていた。

しかし、やはり秋から冬に入る頃、受験生の精神はどんどん敏感になり、とうとう母親に向かって、私はブチ切れてしまうのであった。「この家は俺を合格させるつもりは無いのか!」生まれて初めて母親に反抗した瞬間であった。あの時、母親はどう思ったのであろう。

とにかく、母親は、これはたまったものではないと思ったのだろう、ワンルームマンションを借りてきてくれた。11月から3月までの超短期契約である。いたってノーマルの6畳1間、勉強するだけの部屋なので机以外は何も無かった。晩御飯の合図のため電話だけが用意された。

新しい部屋での勉強は捗った。貧乏な我が家にそんな部屋を借りる余裕は一切ないはずである。そうでなくても、高校3年の間は、予備校に100万以上つぎ込んでいるのだ。公立中学、公立高校まではよかったが、まさかの大出費。母親は大変だったと思う。合格することが私の使命であった。

後から聞いた話だが、そのアパートの契約のために、姉が金を用意してくれたらしかった。ありがとう、お姉ちゃん。その頃の勉強の合間の息抜きは、ヤングサンデー(既に廃刊)の釈由美子だったことを記憶している。

センター試験は大きな過失なく突破できた。得点率は88%、704点/800点、世界史と数学ⅡBは満点だったが、国語と英語は160点台といつも通りのしょぼい点数であった。物理が88点、なんとか踏みとどまれた。二次試験は東京で行われる。予備校に頼んで東京のホテルを予約してもらった。

受験前日のことは別ブログにて

全ての東大生の悩み

全ての東大生にとって、最もされて困る質問は「君はどこの大学?」と問われることである。これは間違いない。この問いは非常に悩みが深い。

「東大です」と答えると、何だこいつは、威張ってるのか、と思われる。そう思われるのが嫌なので、全ての東大生は仕方なく、「一応、東大です」と一度は答えるのであるが、これはこれで、何が一応だよ、と嫌われるのである。もはや手詰まり、お手上げ。

「東大です」と答えても駄目で「一応、東大です」と答えても駄目なので、全ての東大生は結局諦めて、「東大です」と、少し食い気味に言うしか無いのである。なぜ食い気味になるのかと言うと、相手に何も考える暇を与えないためである。この領域まで来られれば、もう立派な本物の東大生である一つの証拠と言えよう。

これこそが東大ブランド。

「東京大学物語」という漫画で、主人公の村上君が東京大学に落ちて、早稲田大学で仮面浪人している時に、どこの大学かを聞かれ「一応、早稲田の政経です」と答えるシーンがあったが、あれと似たような心境である。当然、その漫画でも、一応とか言ってんじゃねーよとか突っ込まれていたのであるが、東大周辺には、この手の悩みが尽きない。しかし、これこそが東大ブランドである、日本に深く根付く東大ブランド、わたしが最も欲したものだ。

わたしはこれからも自信を持って言うだろう。

「東大です」と。

「一応、東大です」とは、決して言うまい。

そして、もし周囲に、自信を持って、しかも少し食い気味に「東大です」という人がいれば、その人を「こいつは食い気味で東大です、なんて言いやがって、自信満々な野郎だな、むかつくぜ」とは思わないで欲しい。彼らなりの試行錯誤の上での、少し食い気味の「東大です」なのである。これで精一杯なのだ。

ここまで書いてから、手元のiPhoneで一応、「一応、東大です」と検索してみると、東洋経済オンラインの”東大生がいつも「一応、東大です」と謙遜する訳”という記事が出てきた。さらに”東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?”というタイトルの本まであるらしい。

何ということだ。わたしが書いた10行ほどの文章が一冊の本になるのか、その本を書いた人の想像力は凄いなぁ、と思う。

ちなみにわたしは、東大です、と答えた後には、だいたい、最低点で合格しました、と付け加えることが多い。これはなぜかというと、本当に最低点で入学した自信があるからである。東大模試も夏はC判定、秋にいたってはD判定、ただしかし、自分は絶対に合格するはず、という自信だけはあった。

でどころが謎の自信ほど怖いものは無いのである。

わたしは実際に合格したのだから。本当にラッキーだった。ラッキーでも何でもいいのである。入れればそれでよかった。ドラゴン桜の桜木先生もいつもそう言っている。入れれば何でもいいのである。入ることが目的なのだから。

東大受験前夜

今日は親父の話である。ビールが大好きで、照れ屋で、自信家で、人情に厚かった、僕の父親の話を聞いてもらおう。

2000年2月24日、大学入試の二次試験を翌日にひかえ、わたしは一人で渋谷のホテルサンルートへ向かっていた。大阪からの受験だったので、前日入りして宿泊だ。大阪から東京へ受験するパターンはその当時、大阪の公立高校では珍しいことで、事情の分からないわたしは、河合塾の教務の人に助けてもらいながら、ホテルの予約などをしていた。

受験会場の下見を済ませ、あとはどこへも行かず、部屋で勉強していた。ホテル側で受験生向けに自習室などを用意してくれていたのだが、とてもじゃないが、他のライバル受験生の顔など見てはびびりそうだったので、利用しなかった。晩御飯も、外食する勇気もなく、ホテルのたいして美味しくもない飯を食った記憶がある。あとは、ゆっくり寝て明日に備えるだけ。

そんな頃、大阪の実家では、親父と真ん中の姉(僕には姉が3人いる)が大喧嘩をしていた。普段は寡黙な父親なのだが、お酒が入ると饒舌になる。365日、毎日必ずビールを飲むので、毎日饒舌な訳である。この日も絶好調で、夜も12時を過ぎたころ、おもむろに電話の受話器を取りだしたらしい。

不審に思った姉が

「どこに電話かけるん?」

「東京(王道という言葉を発音する時と同じイントネーションで)で
一人で寂しい思いをしている息子に電話掛けるんや」

「お父ちゃん、何言うんてんのん、そんなん絶対したらあかんで、絶対やで」

「分かったわ、せーへんわ」

と言い聞かせた姉は安心して寝室へ向かったが、一抹の不安が残った。ただ、さすがにこの時間に、東大受験を控えた息子に電話するなんてことは、絶対にあり得ないと思った姉が甘かったのか。

どうしても我慢出来なくなった親父は…

(その頃東京では…)

プルプルプル

ん?電話???

「フロントです、お電話です」

「……(こんな時間に一体何だろう)」

「息子、俺はお前が一生懸命勉強してたのは知ってる。結果はどうでもいいから頑張ってきーや、それだけや。」

「うん、分かった、ありがとう」

それだけの会話でした。

まさかの夜中12時半に親父からの電話。。。

僕はその時、、、

試験が終わって大阪に帰ったら、間違いなく親父を挽き肉にしてハンバーグにして食ってやろうと心に誓ったのである。

というのは嘘で。

正直救われた気がした。

実を言うと、全然寝られなくて、焦っていた。普段、木造長屋の隙間風だらけの極寒の中で寝ていたので、ホテルの適温が暑過ぎて暑過ぎて全く寝られなかったのだ。だから、この電話は何だか本当に有り難かったと記憶している。その後、フロントに電話をして、どうしても暑いのでエアコンを切ってくれと頼んだはずだ。そして、まあまあ普通に睡眠を取ることができた。

普段は勉強について何も言わない親父。毎日ビールを飲んでは大いびきで寝るので、わたしは高校3年生の8月までは毎晩耳栓をして勉強していた。耳栓も、1週間くらい使うと効果が弱くなってくるので、しょっちゅう耳栓は買い換えた。夏休みが終わる頃、とうとうぶち切れて、この家は俺を合格させる気はないんかぁぁ!!!と爆発して母親と喧嘩してしまった。家族もこれはたまったものではない、こんなヒステリー受験生に気を遣いながら一緒には暮らせん、と思ったらしい。ということで、ワンルームマンションを借りてくれた。

高校3年の受験の時は合計で100万円以上使わせてしまったのではないかと思う。

そんないびきのうるさい親父だったけれど、本当はわたしのことを心配してくれていたらしかった。それが分かったのは正直嬉しかった。

信頼されていたんだなぁ、と。

ゆえに、これを読んだ保護者の皆さん、お子さんがなかなか自分から勉強してくれない、ということなどもあるだろうが、大切なのは信頼関係。がみがみ言うだけではやる気もそがれてしまうので、ちょうど良い距離感のようなものが見つかればいい、と思う。子どもは目標があればそれに向かって力を出せるはずなので、そのように促して、あとは全部任せちゃえばよい。

自分で決めた道だから、全力でチャレンジ出来る。全力が出せればきっと結果も付いてくる。駄目なら駄目でもいい、力を出し切って駄目だったとしても、きっとそこから何か大切なことを学べることだろう。そして、その後の新しい道も自分で切り開いて行けるはずである。そしていつか勝利を掴むことは間違いない。

結果に一喜一憂せず、頑張った子どもの姿を認めてあげることができれば、

きっと子供はそのことを一生覚えていて、ずっとずっと感謝しているよ。

東大でもオシャレ

東大生でもオシャレな人もいればオシャレじゃない人もいる。
当たり前である。
早稲田大学にもおシャレな人もいれば、おシャレじゃない人もいるし、
慶応大学にだって、お洒落な人の中にお洒落じゃない人もたまにはいるはずである。いないかもしれない。
夜9時に開いてるラーメン屋は開いてるが、閉まっているラーメン屋は閉まっている
のと同じくらい、当たり前のことである。

オシャレは、小さい頃から磨かれた感性や生まれ持ったセンスが関わるはずであり、
そうなると、東大生にとっては得意分野のはずである。彼らは頭を使う天才なのだ。

ただし、例外もいる。特に地方出身ですごい努力して勉強して東大に入学した人たちだ。
この人たちは、意気揚々と自信に満ち溢れて上京し、アルバイトの面接に行こうものなら

「自分より優れた人間を探しに来た」

とか、悲しくなるほどダサい台詞を面接官に言うような人種である。
そして、東大で見事にその高い鼻をへし折られる訳であるが、それはまだしばらく後の話で。

そして典型的な東大生とは

「自分は東大生であるが、東大生っぽくない、垢抜けたやつ」

と勘違いしている人である。

だが、本当の東大生とは、賢いし、お洒落だし、金持ちで、社交性に溢れ、いつも落ちついているのである。他人と比べて自分は垢抜けている、なんて無駄なことはそもそも考えないのである。

典型的な東大生というのは、東大生像を勝手に下方修正してイメージしているのである。
そして、勝手に下方修正したダサい仮想東大生より自分は垢抜けていると勘違いしているのだ。
これは地方出身者に多い。彼らは賢くないし、お洒落じゃないし、金持ちかどうかは人によるが、コミュニケーション能力に欠け、クラスにあまり馴染めないでいる。

そう、全てわたしのことである。

ついでにわたしは貧乏だった。
予備校の採用面接で面接官の教務の人に向かって、「自分より優れた人間を探すために東京に来た」とか言ったらしい。
本当に言ったかどうかは記憶が無いので定かではないが、どうも言ったらしい。

わたしは、高校時代は私服登校だったし東大生っぽくない垢抜けたやつだ、と思っていたが、友達たちは、わたしのことを「あいつは典型的な東大生だ」と言っていたらしい。
後になって聞いた。顔から血がでるほど恥ずかしかった。いや、火か。穴があったら入りたかった。
そういうこともあり、大学1年、2年の貴重な2年間の記憶には、わたしは蓋をしていて、あまり何も覚えていない。本当に何も覚えていない。恥ずかしすぎて過去を封印したのだ。

人間にはそういうことができるらしい。

便利で都合のいい脳ミソである。

東大卒でも木暮君

「スラムダンク」というバスケットボール漫画は皆さん、ご存じでしょう。
わたしも数多くの漫画を読んできた方であると思っているが、一番面白かった漫画は何かと問われると、スラムダンクと答える。スラムダンクは30回は繰り返して読んだ作品である。

41歳になって、久しぶりに読みたくなったわたしは、新装改編版というものを購入した。
実はメルカリで中古版を買おうとしたのであるが、スラムダンクはあまりに人気なようで、中古市場にほとんど無いのである。出現してもすぐに売れてしまうのでほとんど値崩れしない。これには驚いた。井上雄彦先生は凄い。そして大きな書店に行くと、未だに新品のスラムダンクは売っているのである。ドラゴンボール級の作品と言える。今から30年も前の作品であるにも関わらず。恐るべしスラムダンク。


そして全20巻あるスラムダンク新装改編版、新品で購入して全巻揃えて13000円くらい、大人買いだ。ただし、いっぺんに買うのは気が引けるので、5冊ずつ。まずは1巻から5巻までを購入した。そして5巻を読み終わるころ、僕は電車の中で半泣きになり鼻をすすっていた。なんて面白いんだ!5巻の終わりはちょうど、三井が安西先生に「バスケがしたいんです」というシーンで終わるのである。6巻からは三井復活ストーリー、神奈川県大会の初戦、三浦台戦が始まるはずである。6巻以降も買っとけばよかった!どうせ20巻集めるんだし!と5冊ずつ購入したことをすぐに後悔し、さらに10冊買い足した。合計15冊。

さて、われわれの世代が集まると、スラムダンクのキャラで誰が好き?とか、スラムダンクのキャラなら自分は誰だと思う?という話題が通用する。そして、桜木か流川か、ちょっと意識高い系の人は、宮城リョータか三井、あるいは陵南の仙道、海南の神あたりだ。なかなか赤木ゴリキャプテンや海南の牧という人はいないだろう。

しかし、多くの人は、木暮君である。

10人いれば、9人は木暮君である。実際に見まわしてみるがいい。
みんな眼鏡をかけているではないか。

ずば抜けた才能と能力を持つもの、自分だけのスペシャルな能力を持つもの、強力なリーダーシップを持つもの、まわりで噂になるほどの人、そんな人は滅多にいない。ただし、努力はするし、上司のサポートはするし、誰かがいなくなればすぐに自分が行く準備はしていて、そして、呼ばれればそれなりの仕事はする。

そう、それが木暮君。

特別な能力が無くても、チームの一番の努力家である。陵南の田岡監督が甘くみても、試合を決めたのは、あなどられていた木暮君の3Pシュートだった。40過ぎてスラムダンク読みなおして思うことは、

若かったあの頃より、三井の気持ちが染みること

自分は木暮君であること

そして、桜木や流川のようなエースプレーヤーは、確かに存在し、世の中を引っ張っているということ

ということである。なんだか少し切なくなるのである。