東大生でもオシャレな人もいればオシャレじゃない人もいる。
当たり前である。
早稲田大学にもおシャレな人もいれば、おシャレじゃない人もいるし、
慶応大学にだって、お洒落な人の中にお洒落じゃない人もたまにはいるはずである。いないかもしれない。
夜9時に開いてるラーメン屋は開いてるが、閉まっているラーメン屋は閉まっている
のと同じくらい、当たり前のことである。
オシャレは、小さい頃から磨かれた感性や生まれ持ったセンスが関わるはずであり、
そうなると、東大生にとっては得意分野のはずである。彼らは頭を使う天才なのだ。
ただし、例外もいる。特に地方出身ですごい努力して勉強して東大に入学した人たちだ。
この人たちは、意気揚々と自信に満ち溢れて上京し、アルバイトの面接に行こうものなら
「自分より優れた人間を探しに来た」
とか、悲しくなるほどダサい台詞を面接官に言うような人種である。
そして、東大で見事にその高い鼻をへし折られる訳であるが、それはまだしばらく後の話で。
そして典型的な東大生とは
「自分は東大生であるが、東大生っぽくない、垢抜けたやつ」
と勘違いしている人である。
だが、本当の東大生とは、賢いし、お洒落だし、金持ちで、社交性に溢れ、いつも落ちついているのである。他人と比べて自分は垢抜けている、なんて無駄なことはそもそも考えないのである。
典型的な東大生というのは、東大生像を勝手に下方修正してイメージしているのである。
そして、勝手に下方修正したダサい仮想東大生より自分は垢抜けていると勘違いしているのだ。
これは地方出身者に多い。彼らは賢くないし、お洒落じゃないし、金持ちかどうかは人によるが、コミュニケーション能力に欠け、クラスにあまり馴染めないでいる。
そう、全てわたしのことである。
ついでにわたしは貧乏だった。
予備校の採用面接で面接官の教務の人に向かって、「自分より優れた人間を探すために東京に来た」とか言ったらしい。
本当に言ったかどうかは記憶が無いので定かではないが、どうも言ったらしい。
わたしは、高校時代は私服登校だったし東大生っぽくない垢抜けたやつだ、と思っていたが、友達たちは、わたしのことを「あいつは典型的な東大生だ」と言っていたらしい。
後になって聞いた。顔から血がでるほど恥ずかしかった。いや、火か。穴があったら入りたかった。
そういうこともあり、大学1年、2年の貴重な2年間の記憶には、わたしは蓋をしていて、あまり何も覚えていない。本当に何も覚えていない。恥ずかしすぎて過去を封印したのだ。
人間にはそういうことができるらしい。
便利で都合のいい脳ミソである。