今日は親父の話である。ビールが大好きで、照れ屋で、自信家で、人情に厚かった、僕の父親の話を聞いてもらおう。
2000年2月24日、大学入試の二次試験を翌日にひかえ、わたしは一人で渋谷のホテルサンルートへ向かっていた。大阪からの受験だったので、前日入りして宿泊だ。大阪から東京へ受験するパターンはその当時、大阪の公立高校では珍しいことで、事情の分からないわたしは、河合塾の教務の人に助けてもらいながら、ホテルの予約などをしていた。
受験会場の下見を済ませ、あとはどこへも行かず、部屋で勉強していた。ホテル側で受験生向けに自習室などを用意してくれていたのだが、とてもじゃないが、他のライバル受験生の顔など見てはびびりそうだったので、利用しなかった。晩御飯も、外食する勇気もなく、ホテルのたいして美味しくもない飯を食った記憶がある。あとは、ゆっくり寝て明日に備えるだけ。
そんな頃、大阪の実家では、親父と真ん中の姉(僕には姉が3人いる)が大喧嘩をしていた。普段は寡黙な父親なのだが、お酒が入ると饒舌になる。365日、毎日必ずビールを飲むので、毎日饒舌な訳である。この日も絶好調で、夜も12時を過ぎたころ、おもむろに電話の受話器を取りだしたらしい。
不審に思った姉が
「どこに電話かけるん?」
「東京(王道という言葉を発音する時と同じイントネーションで)で
一人で寂しい思いをしている息子に電話掛けるんや」
「お父ちゃん、何言うんてんのん、そんなん絶対したらあかんで、絶対やで」
「分かったわ、せーへんわ」
と言い聞かせた姉は安心して寝室へ向かったが、一抹の不安が残った。ただ、さすがにこの時間に、東大受験を控えた息子に電話するなんてことは、絶対にあり得ないと思った姉が甘かったのか。
どうしても我慢出来なくなった親父は…
(その頃東京では…)
プルプルプル
ん?電話???
「フロントです、お電話です」
「……(こんな時間に一体何だろう)」
「息子、俺はお前が一生懸命勉強してたのは知ってる。結果はどうでもいいから頑張ってきーや、それだけや。」
「うん、分かった、ありがとう」
それだけの会話でした。
まさかの夜中12時半に親父からの電話。。。
僕はその時、、、
試験が終わって大阪に帰ったら、間違いなく親父を挽き肉にしてハンバーグにして食ってやろうと心に誓ったのである。
というのは嘘で。
正直救われた気がした。
実を言うと、全然寝られなくて、焦っていた。普段、木造長屋の隙間風だらけの極寒の中で寝ていたので、ホテルの適温が暑過ぎて暑過ぎて全く寝られなかったのだ。だから、この電話は何だか本当に有り難かったと記憶している。その後、フロントに電話をして、どうしても暑いのでエアコンを切ってくれと頼んだはずだ。そして、まあまあ普通に睡眠を取ることができた。
普段は勉強について何も言わない親父。毎日ビールを飲んでは大いびきで寝るので、わたしは高校3年生の8月までは毎晩耳栓をして勉強していた。耳栓も、1週間くらい使うと効果が弱くなってくるので、しょっちゅう耳栓は買い換えた。夏休みが終わる頃、とうとうぶち切れて、この家は俺を合格させる気はないんかぁぁ!!!と爆発して母親と喧嘩してしまった。家族もこれはたまったものではない、こんなヒステリー受験生に気を遣いながら一緒には暮らせん、と思ったらしい。ということで、ワンルームマンションを借りてくれた。
高校3年の受験の時は合計で100万円以上使わせてしまったのではないかと思う。
そんないびきのうるさい親父だったけれど、本当はわたしのことを心配してくれていたらしかった。それが分かったのは正直嬉しかった。
信頼されていたんだなぁ、と。
ゆえに、これを読んだ保護者の皆さん、お子さんがなかなか自分から勉強してくれない、ということなどもあるだろうが、大切なのは信頼関係。がみがみ言うだけではやる気もそがれてしまうので、ちょうど良い距離感のようなものが見つかればいい、と思う。子どもは目標があればそれに向かって力を出せるはずなので、そのように促して、あとは全部任せちゃえばよい。
自分で決めた道だから、全力でチャレンジ出来る。全力が出せればきっと結果も付いてくる。駄目なら駄目でもいい、力を出し切って駄目だったとしても、きっとそこから何か大切なことを学べることだろう。そして、その後の新しい道も自分で切り開いて行けるはずである。そしていつか勝利を掴むことは間違いない。
結果に一喜一憂せず、頑張った子どもの姿を認めてあげることができれば、
きっと子供はそのことを一生覚えていて、ずっとずっと感謝しているよ。
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